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日本国内におけるトラウト管理釣り場の歴史

 管理釣り場の起源は戦後、アメリカ進駐軍のための保養施設としてできたものがスタートである。奥多摩から丹沢にかけて○○国際マス釣場など、(地域名)+国際と名のつく釣場名はその名残である。当時の進駐アメリカ人にとってニジマス釣りをとおして家族や仲間とコミュニケーションを取ったり、自家製燻製を作ったりするのが当時のレジャーだったようです。

日本におけるトラウトフィッシング

明治期

スポーツフィッシングとしての釣り

● 湯の湖・湯川
 明治35年(1902)奥日光湯川に交易商人トーマス・グラバーの企画により、イギリス領事館員ハロルド・パーレットの立ち合いの元、コロラド州から取り寄せた約25,000粒の卵から孵化したカワマス(ブルックトラウト)の稚魚を放流したのが国内のスポーツフィッシングの発祥とされている。

 明治期、欧米人の避暑地として人気のあった奥日光、戦場ヶ原湿原のゆるやかな流れの中でフライフィッシングが楽しまれていた。

サケマス内水面養殖

 サケマスの養殖は奥日光湯川よりも早く開始されている。この頃の養殖はあくまでも食用のためのもので遊漁目的のものではなかった。

 サケマスの内水面養殖は明治10年(1877年)にニジマス卵10,000粒が北米より寄贈され、関沢明清によってニジマスのふ化・飼育したのが日本におけるニジマスの養殖の始まりとされています。

● 醒井養鱒場
明治11年(1878年)に設立された日本でもっとも歴史のあるサケマスの増養殖施設の一つです。

昭和・戦後

河川放流によるライセンス釣り場のかたち

■ 養沢毛鉤専用釣場
 太平洋戦争後、駐日アメリカ軍の法務官トーマス・ブレークモア氏が東京都秋川の一部を借りてライセンス制のフライ専用釣り場を始めたのが今日の管理釣り場の原型とされています(1955年6月1日開始)。秋川の渓流はアメリカ東部の渓相と似ており当時立川などに進駐していたアメリカ軍の兵士とその家族の利用がほとんどで、釣りを楽しんだ後にビール片手にバーベキューを楽しんでいたようです。この頃日本人の利用はあまりなかったようですが、徐々に好事家たちが海外からリールを取り寄せて、フライフィッシングやルアーフィッシングが拡がっていったようです。
 その後釣り場は、ブレークモア氏から地元が引継ぎ、国内のフライフィッシングを広めるきっかけ作りとなりました。

釣りブームとなった出版物

■ 釣りキチ三平
1973年「少年マガジン」で連載がはじまり、釣りブームのきっかけになる。

■ 開高健 オーパ!
1978年に刊行された釣りノンフィクションのアマゾン釣行記。その後キングサーモン編、イトウ編でルアーフィッシングブームに。釣具店からルアーが全部売り切れることも!?

余禄

■ わが国の釣り堀文化の起源は?

 起源は今のところ分からないが「釣」という字で追うと、平安時代には建築様式「寝殿造」の中の構成要素に水上に作られた「釣殿(つりどの)」という施設があり、そこは舟遊の際の乗降場にあてられたり、納涼や月見、雪見の場所として用いられたようだ。一説にはあくまでも水の上に「吊ってある」建物であって、貴族たちが釣りを楽しむための施設と断定するほどの物証があるわけではないが、非常に興味深い施設である。

~源氏物語より~
いと暑き日、東の釣殿に出でたまひて涼みたまふ。中将の君もさぶらひたまふ。 親しき殿上人あまたさぶらひて、西川よりたてまつれる鮎、近き川のいしぶしやうのもの、御前にて調じて参らす。 例の大殿の君達、中将の御あたり尋ねて参りたまへり。 「さうざうしくねぶたかりつる、折よくものしたまへるかな」 とて、大御酒参り、氷水召して、水飯など、とりどりにさうどきつつ食ふ。

※注)文中に出てくる鮎は西川(桂川)より献上されたもので、釣殿で釣ったものではない。釣殿で光源氏は中将の君や親しい殿上人たちと涼みながら、調理人に鮎を調理させて食したという逸話。
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